公文をさせない理由。
時折、ママ友との間で「習い事どうする(どうしている)?」という話になります。
よく聞くのが、水泳、ピアノ、そして公文。 公文やっている人多いですよね。 近所に2件ほどあり、アクセスも良いので、近所の人はみんな気になる習い事のようです。
公文に対する関心。
「公文どう? 公文させる気は無いの?」 って訊かれたりしますが、ありません。
公文をさせない理由。
時間とお金がないからです。 とってもシンプルですね? 世の中には、公文信者と公文をヘイトする人が一定数いるようですが、私は信者でもなく、悪い点をあげつらうほど公文については知識がありません。 なんか、たくさんドリルをやることにより、計算力が向上する、くらいの認識しかありません。 東大生の公文経験者が多いと聞くと「すごいなあ。やっぱり公文させた方がいいのかな」なんて思ったりもしますが、行動に移すほどの情熱は湧いてきません。
時間とお金がない。
時間は皆平等に1日24時間。 お金は平等じゃありませんが、お金というのは、ある意味においては、何を選択するかの問題であり、お金がないお金がないという我が家でも水泳とピアノはさせています。
我が家の優先順位
我が家の優先順位は以下の通りです。 (途中からやっていないことも混じってきます。)
1・睡眠
2・食事
3・外遊び
4・折り紙やパズル、お絵かきなどの家での遊び
5・水泳
6・ピアノ
7・勉強(今年から)
8・バスケなどの球技をさせたい
9・体操とか体育系させたい
10・硬筆(最近字が汚いのが気になる)
11・英会話
12・算盤
13・公文
睡眠が食事より上位に来るのは、例えば、「夕飯を作る時間がない!」という場合には、納豆とふりかけご飯で夕飯を終わらしてでも、睡眠時間を確保する、という意味です。栄養バランスは一週間で調整できればいいかな、と。場合によっては、食事より外遊びが優先されます。
水泳は体作りのために必須。 ピアノは自分から「やりたい」と言い出して始めたことなので、きちんとやってもらいます。 年長になったことですし、勉強は一日15分はさせたいところ。 まあ、そういうわけで大体7番で一日が終わります。
こんくらいしかさせてやれません。 お金も7番で頭打ちです。
7番より以下もさせようと思えば、大学は近隣の国立大学ですら奨学金を利用させなければいけないでしょう。 もしお金と時間があれば、バスケなどの球技をやらせてやりたいのでバスケが8番目にきています。娘が自ら言い出したのでなければ、ピアノよりも球技や体操などを上位に置きたいところです。
また、字が綺麗だといいな、と思うので、硬筆もいいですね。 収入があと5万ほど増えて、一日の時間が26時間あれば、球技と硬筆を追加します。
英会話は継続が厳しいので辞めさせましたが、収入があと7万円増えて、一日の時間が28時間あれば継続させたかったです。
算盤はいい、と聞きますね。暗算力あっても、数学力とは別なので、そこまで魅力を感じませんが、収入が9万円増えて、一日の時間が30時間あれば習わせてみたいです。
公文は一日35時間あって、収入が15万円増えたら、させてみてもいいかなあ、と思います。 そんな感じで優先順位が決まっているので、今のところ公文をやらせるつもりはありません。
収入と時間が増えたらやりたいですけれど、おそらくあり得ませんね。
でも公文は利用させてもらうよ。
公文を習わせるつもりはないですが、公文は大いに利用させてもらうつもりでいます。 公文を利用する、というのは公文のドリルをする、という意味ではありません。公文のドリルは迷路だけで大丈夫。他のものは利用しません。
公文を利用するというのは、このようにです。
・Z会1年先取りするつもりだけれど、その学習の中で「まだ早いんじゃない?」と娘が言った時には「公文っていう習い事している〇〇ちゃんはもっと先に行っているよ。別にそこまで行く必要も比べる必要もないけれど、早すぎってこともないから、娘ちゃんも今のこの課題はしっかり終わらそうね」 という風に使う。
・学校が始まって娘が「学校の勉強簡単」って言った場合には「公文やっている子は、もっともっと先に進んでいるけど、しっかり話聞いているよね。だから、娘ちゃんもしっかりやろうね」という風に使う。
公文やっている子はかなり先取りをしているので、おかげで、娘に先取りをさせることへの罪悪感が薄れるのでありがたいなあ、と思ったりしています。我が家は一年生の先取りが終わったら学年相応に戻すつもりなので、先取りをいつまでもすることはありませんが。
基本的には、周りが優秀な環境は焦る気持ちもありますが、ありがたいことだと思っているので、公文組は公文組で頑張ってもらって、そのモチベーションをいっぱい分けてもらいたいなあ、と思います。
追記:少しふざけているように取られる向きもあるので、もう少し公文についてどう考えているのか追記しておこうと思います。
学生時代からの友人たちの多くは公文経験者です。 そして、大体の友人は国立大学に進学しています。 公文は学力向上にはいいツールのような気もします。
けれど、公文をやっている子のほとんどは、どちらかと言えば”文系”でした。 ”どちらかと言えば”というのは、所属が理系でも問題の解き方が文系ということです。
解き方が文系というのは、公式と問題パターンを大量に覚え込んで問題を解くというスタイルです。 公式が出てこないと手も足も出ない状態になることが多いようでした。そのスタイルでも、大丈夫と言えば大丈夫です。公式と問題パターンを多く頭に入れておけば対応できない学部はないからです。医学部も例外ではありません。ただ、「将来物理や数学を専門にやりたい」と考えるような場合には大学に入ってから苦労しそうな気もします。
だから、「うちの子はどちらかと言えば、文系寄りの頭をしているわ」という場合には公文に突っ込んでしまった方が、ハズレをひくリスクは低いのではないか、と思うわけです。 将来的に娘が、趣味関心のベクトルがどちらを向いているかは度外視して、頭の作り的に「文系よりの数学対策を立てた方が良さそう」と考えた場合には、公文の優先順位が上がるような気がします。
現状、まだ5歳。学習スタイルを”文系スタイル”にしてしまうにはまだ早いかなと思い、公文の優先順位がとても低くなっています。今後どうなるかな、というのはよくよく観察して判断したいところです。なにせ、親以上に子どものことを見れる人はいないわけですから。